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逆キャトルミューティレーション-ヴィーガンの宇宙人-

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食材と贖罪の話。ヴィーガンの方と畜産業の方は是非とも最後まで読んでいただきたいです。

キャトルミューティレーションって皆さん知っていますか?
動物の死体が内臓や血液を失った状態で見つかる怪現象のことで、UFOの仕業とか言われてますね。
UFOが牛をさらっているような絵を見たことがある方も多いかと思いますが、それのことです。
(厳密にいうと、さらうことはアブダクションで、そっから抜き取るのがキャトルミューティレーション)

長いんでこっから「キャトる」とか「キャトり」とか言いますね。
今回のシールのネタは、牛以外を持ってく「逆キャトり」です。
なんでそんなことすんの、って思うでしょ。

作ってる僕もわからないです。なんでわざわざ生き物以外を持ってくのか。
なんで生き物は大事にして、それ以外は破壊・殺傷するのか。
てゆうか誰に許可とって残す残さないを決めてるのか。てか生き物もそれ以外も、元々誰のもの?

地球にもいますよね。色々破壊しておきながら一部を保護している一点で善人面している人。
一部を保護したからといって、破壊した分トントンにはなりませんし、一部を保護したからって何が偉いんですかね。みんな家族や友人や何かを保護してますけど、別に善人面してないですよね。
(保護する行動自体は素晴らしいことだと思います。善人面はちとダルい。)

というか、そもそも破壊・殺傷は罪という発想が違うと思ってて。
免疫だって破壊される前に破壊している訳で、生きる上で必要なことです。
かといって僕も生き物の殺傷や、畜産の全てを肯定しているわけではないです。
僕自身、生き物は大好きだし残酷なことは普通に嫌いです。人も好きですが、同時に浅はかで増えすぎたとも思います。だから、ヴィーガンの人の気持ちも考え方も共感はできます。
ただ動物性のものを一切取らないという極端なアクションが、あらゆる犠牲に対する葬いの姿勢としてあまりに稚拙で、人間の浅はかさを露呈しているようにも思えて釈然としないんです。

破壊・殺傷は善とか悪とか、そういうジャッジと関係なく、ごく自然に行われる事なんだと思うんですが
今回はいい機会なのであえてわざわざジャッジしてみましょう。
人を殺す罪と、動物を殺す罪の違いを考えましょう。人を殺すことは現代の一般常識では罪とされていますがなぜでしょうか。それは人を殺すことは生きる上で不必要なことだからなんじゃないでしょうか。もしくは構築した社会のバランスが乱れるから。
「人の殺害=不必要なことをわざわざする=時間の無駄=罪」という方程式なんじゃないかと思います。
では、動物を"殺す"罪は?
「動物を"殺さない"罪」から逆説的に考えましょうか。「動物を"殺さない"=必要な栄養が摂れない=人の殺害=罪」が成り立つはずです。動物を殺さなくても栄養が取れる、という事が証明されるとこの式が嘘になるのですが、証明しようとして人が一人でも死んだら、「動物を"殺さない"=罪」となります。
だから話を動物を"殺す"罪に戻すと「動物を"殺す"=罪ではなないかもしれない」になるわけです。

この「罪ではなないかもしれない」という可能性を一切考えない姿勢がヴィーガン思想が極論で幼稚だと思う理由です。

もしもそのポリシーのせいで大切な人を栄養失調で亡くしたら、何にその悲しみを向けるつもりなんでしょうかね。それこそ必要なかった犠牲です。畜産業の人はその死に一切関与していませんし、悪くなった地球環境のせいでも、他人のエゴのせいでもないです。

畜産問題・環境問題の対処法は、もっと他にあるはずです。
(なんかそのうち「これ1本で一生分の栄養!」みたいな商品出てきそうだな。。したらめっちゃ暇な人生になりそう。)

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