
EXCESS-過剰-
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過剰なものを過剰なほど過剰にしたら、どうなってしまうんでしょう。
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加工アプリの進化でこの世に存在しない作られた人間が沢山ネット上に存在しています。
存在。
存在はかたちを失うと無くなってしまうものなのでしょうか。逆にかたちだけが残ったものを存在と呼べるのでしょうか?
ある人の死に携わる仕事をしていた知り合いが言っていました。
人間は元来グロテスクだと。
魂を失った肉体にはなんとも言えないグロテスクさがあるんだと。
内臓も皮膚もその全てが汚らしく、そんなものが集合したのが、自らも現在進行形で使っている魂の器の正体であると気づき大きなショックを受けたと。
実際僕は死化粧を済ませた遺体しか見た事がないので、リアルには同じ気持ちにはなった事は無いのですが、
違った視点で似たような事は考えた事はあります。
◼️加工アプリ編
実物しか見た事ない場合:不気味とは思わない
↑↓
適度な加工:キレイ
↑↓
過剰な加工(キレイの高濃度版):不気味
もしくは加工見てからの実物(キレイの落差):不気味
◼️寿司編
生きた魚:キレイ
↑↓
生きた魚の過剰な群れ(キレイの高濃度版):不気味
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死んだ魚(刺身の集合体):不気味
↑↓
刺身(死んだ魚の破片):キレイ
というように、魂があるか/無いかでグロテスクさを感じたり感じなくなったりするし、キレイなものも濃縮するとグロテスクになったり不思議だなぁと思ってました。
ここまでは盛大な前振りで、言いたかった事はつまるところ↓です。
「突き抜けて生きて行こう」
というメッセージと
「やりすぎは良くない」
という相反するメッセージが同時に存在するのも、
好景気が必ず不景気になりまた好景気になるのも
辛い事のあとに楽しい事があるのも
全て、繋がっているように僕は思います。
魂の有無に快不快の波が生まれるんだから全ての現象に波はあるんだと思います。
だから行き過ぎた先にあるんですよ。
そして、その先も。
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